機械学習についての考え方 (Benedict Evans, a16z) – BFORE – スタートアップのノウハウ情報

Emotional, Burning, Unlimited Tuned Laboratory

近年の機械学習ブームが始まってから4、5年がたち、殆どの人はそれについて聞いたことがあると思います。機械学習についての話題は、それに関するスタートアップが毎日設立されているとか、巨大な技術プラットフォーム企業がそれに対応しようと自身の再構築を行っている、といった話にとどまりません。技術界隈の外に居る人間の誰しもが The Economist や Businessweek のカバーストーリーで機械学習について読んでおり、多くの大企業がそれに関する幾つかのプロジェクトを進行させています。ご存知の通り、これはネクスト・ビッグ・シングなのです。

更に話を進めます。私達はニュートラルネットワークが理論上、どのような物であるかについて、大凡は理解しているつもりでいます。これはおそらくパターンとデータに関する物だろう、と捉えているわけです。機械学習により、私達はデータのパターンまたは構造を見つけることができます。ここで言うデータのパターンまたは構造とは明示的な物ではなく、暗示的かつ確率論的 (今後は「推論的」と呼びます) な物です。以前にそれを見つけることができたのは人間だけであり、コンピューターにはできませんでした。そのような物を見つけるために使われる質問は、以前は「コンピューターにとっては難しく、人間にとっては易しい」類の物でした。より有意義な言い方をするなら、「人間がコンピューターに説明するのが難しい」類の質問だったのです。これまで幾つかのクールな (見方によっては心配になる) スピーチや、ビジョンのデモが行われるのを、私達は見てきました。

しかしながら、私は機械学習が持つ意味は、まだ確立していないと考えています。ここで言う機械学習が持つ意味とは次のような物を指します。テック企業やより広範な業種の企業にとって、機械学習が将来どのような意味を持つかということ。機械学習が可能にする新しい物事、あるいは一般の人間に対して機械学習が持つ意味について、どのように構造的に考えるかということ。そして、機械学習によって解決できる可能性がある重用な問題にはどんな物があるか、といったことなどです。

「人工知能」という言葉は、この問題を解決するための助けとはなりません。この言葉はあらゆる会話を始まって早々に終わらせてしまいがちです。私達は「AI」と言うとすぐ、まるで2001年宇宙の旅に出てくる黒いモノリスが現れたがごとき状態になってしまいます。私達はそれに向かって叫び、拳を振り上げる猿となってしまうのです。つまり、私達は「AI」を分析することができないのです。